今回のテーマは「おじさんと愛。」。
今宵は中秋の名月、満月の夜です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7a6d87f1486bb247c845ebd439d3d0ee4d8b3df
でもって、
満月を愛でつつ、
慈愛深きおじさんと愛について語りたくなりました。
……というのはこじつけ。
このブログを遡ってみると一目瞭然、
テーマの後ろワードのしりとり状態になってきました。
計画性はございません、成り行きです。
前回の投稿では、世の中の「おじさん」について触れてみましたが、
それ以降、自分の実の伯父&叔父の顔が脳内に頻繁に現れるようになりまして。
登場するのは合計3名。うち、2名はすでにお空の上の住民。
時々思い出すこの3名の伯父&叔父は、
一生懸命誠実に働き、家族を大切にし、
姪の私に対してもとても優しく接してくれました。
(叔父1名は今も健在、今も優しい)
いずれも大好きな伯父&叔父。
が、親ほど接している時間が長いわけではないので、
さして私の思考とか性格には影響はないものと思ってきましたが、
そんなことはないようです。
今思い出す伯父&叔父の表情はいずれもやわかい笑顔。
子供の頃は頭をナデナデしてくれたり、
「お父さんお母さんには内緒だよ」といって、
そぉっとお小遣いをくれたり、
親に叱られている私に「美香ちゃんは十分に反省しているよ」
と助け船を出してくれたり…etc.
私の脳内記憶フォルダ「伯父&叔父編」にアクセスしてみると、
なんとも例えようがないホンワカフワフワとした心地ヨキ思い出動画が
いっぱいストックされていました。
その例えようのない
ホンワカフワフワの正体は
いったいなんなのか。
たぶん、「愛」。
きっと、「愛」。
(昭和世代にはベテラン女優の艶やかな姿が蘇るでしょうか)
そう、「愛」。
一択でしょうね。
け、また「愛」とかいってんの。
で、「愛」っていったいなんなん?
と、自分で言っときながら、さらっと回収できず。
私はふだんから躊躇なく「愛」という言葉を使っていますが、
巷の自己啓発類のSNSや書籍にも「愛」という文字があふれてますが、
大好きな藤井風さんも「愛しか感じたくなーい♪(まつり/藤井風)」と歌ってますが、
振り返ってみると、
あまりにも「愛」という言葉が飽和している昨今。
で、「愛」って?
おなじみの広辞苑には、
「親兄弟のいつくしみ」
「人間や生物への思いやり」
「男女間の相手を慕う情」
「かわいがること、大切にすること」
「このむこと、めでること」
などなど、たっくさんの定義要素がありました。
私が伯父&叔父との記憶に感じるホンワカフワフワは、
「親兄弟のいつくしみ」に該当するものですが、
これは、そもそも伯父&叔父が私をいつくしむ愛を注いでくれたからこそ。
伯父&叔父が私をいつくしむことから、
私が伯父&叔父をいつくしむ「愛」のループ。
愛を受け取った私には、
脳内の記憶フォルダに「伯父&叔父からの愛」のファイルが保存されており、
そこに既にある「両親からの愛」や「祖父母からの愛」ファイルにも
負けず劣らずのファイル数がストックされていました。
ありがたし。
親からだけではなく、
伯父&叔父にも愛されて育ってきたことに感謝。
世の中で起こる悲しい報道を見聞きしていると、
親や血縁からの愛は絶対にあるものとか、
それが絶対的に「善」だなんてことは、
いいきれませんから。
あたりまえのことではないからこそ、
無自覚に与えられてきたホンワカフワフワの「愛」に、
心の底からありがたしと感じるこの頃です。
とはいいつつ、
もっと、親が●●だったら、××に生きられたのに。
もっと、××な家だったら、△△できたのに。
もっと、親が□□を与えてくれたら、**に成れたのに。
じぶんの家の環境や養育者に無いものにフォーカスして、
養育環境のせいにして卑屈なことを言ってしまったことも…。
私にもそんな時代があったことも思い出しました。
思春期の頃だったかな…。
確かに私には、
●●とか、××とか、□□は無かったけれど、
ホンワカフワフワの「愛」はたっぷりと満ち満ちていました。
その記憶にある「愛」は物体ではないから、
消えない、劣化しない。
永遠なる品質保証、維持費もかからんのでコスパ最高。
すごいな、「愛」って。
あるものにフォーカスする。
あるものをいつくしもう。
そして、大切にしてくれる存在に日々感謝しよう。
大人になってこんなことを自然に思えるようになったのも、
養育過程で注がれてきた「愛」のおかげなのだろう。
と、
伯父&叔父を思い出したことをきっかけに、
こんなことをしみじみと感じた今宵。
そうこうしていると、
夜空に煌煌と輝く大きな月に、
伯父&叔父のカオがフルサイズで浮かぶ……ちょとコワ。。
今回も最後までお読みいただき
ありがとうございました!